人生は、無駄と感じてからが勝負だ
意味のあることや価値のあること。何かをやるとき、そういうことを意識していると心から楽しむことができなくなる。
何かをやるっていうのは、次のようなこと。
- 勉強する
- ゲームする
- 遊びにいく
- 外食する
- 仕事する
- 生きる
など。
つまるところ、生きてくうえで必ず行う何かの活動のことだ。
それらのことについて、やる意味や価値について考えていると、何をするにも虚しくなってしまう。
- これをして意味はあるのか?
- これをする価値はあるのか?
何かを始める前にも、やっている最中にも、そんなことを考えて虚しくなる。
遊びに行きながらも、こんなことしてていいのかと思うし、勉強しながらも、こんなことしててもつまらない人間になるだけじゃないかと思う。
- 勉強したところで、なんの意味があるの?
- ゲームなんか時間の無駄じゃん
- 遊びに行く暇があったら勉強しろよ
- 勉強してる暇があったら仕事しろよ
- 仕事ばっかりして趣味もないつまらない奴だ
もう、こうなってくると生きるのがしんどい。
実はこういった悩みを抱えて生きてきたのが、20代のこと。
10代の頃にちょっとだけヒッキーやってたりして、人より何歩か出遅れてる感があって、何とかしなきゃっていう焦りから、やたらと意味や価値ばかり考えてしまうようになったんだと思う。
いい歳こいて、つい最近までそんなことばかり考えては、人生を焦ってた。
これが20代の自分。
何もかも中途半端になってしまうバカ野郎だった。
30代になって、そんなバカ野郎もようやく変わりつつある。
10代20代の若者たちは、世間にはこんなしょーもないおっさんもいるんだなぁと思って、ぜひ勝ち誇ってもらいたい。
全部無駄だから、没頭するしかない
僕が気づいた、充実した人生を送るのに必要な答え。何をやったって、全部無駄なんだ。それでもいいから、没頭するしかないんだよ、ってこと。
- 何をするにしても、意味なんてない。
- 何をするにしても、価値なんてない。
意味や価値を考えるとき、その先に望む理想的なゴールは、お金持ちになれるかどうか又は他人からの羨望が得られるかどうか、この2つのみだ。
このゴールが達成できるかどうかをイメージして、意味や価値を判断する。
ところが、そのようなゴールは一朝一夕に到達出来るものではない。
だから最初は勢いよくスタートを切れたとしても、次第に前に進めなくなり、止まってしまう。
ゴールに辿り着けないなら、今やっていることがすべて無意味で無価値なものになってしまう。
だからやめる。
道半ばでもやめる。
そして次の乗り物とサーキットを選び、またゴールに向かって走り出す。
その繰り返し。
子供の頃の自分を思い出してみると、いちいちそんな風に考え込んでしまうタイプではなかった。
やりたいことをやってたし、ちゃんと最後までやりきっていた。
クオリティはともかく、漫画のキャラクターを何時間もかけて模写したり何百時間も同じゲームをプレイしてたり、とにかく没頭してた。
意味や価値なんてどうでもよかった。今やっていることで金が稼げるのか、人から褒められるのか、なんてそんなことは考えたこともなかった。
そして今、僕が立ち戻るべきはそのような子供時代の精神性だ。
何かを始めるなら、意味や価値は考えない。途中で一歩引いて見る、ということをしてはいけない。
子供のように、ただ没頭する。
没頭するからこそ、気がついたときに、人より秀でた才能を身に付けることができるんだ。
僕はかつてのヒッキー時代に、ひたすらタイピングソフトにハマっていた。
何度も壁にぶつかりながらも、メキメキ上達し、気がつけば誰もが驚いてくれる実力を身に付けていた。
これはまさに没頭状態にあったということで、意味や価値について考える余地なんて微塵もなかった。
好きでやってたら、いつの間にか上達していたんだ。
人間誰しも最後には死んでしまう運命。
ってことは、究極的には、何もかもが役に立たない無意味なものってことだ。
元々無意味なものを意味のあることになんて出来やしない。出来ないことをいつまでも悩んでいるのは、それこそ無意味だ。
だから、意味や価値を考えてはいけない。
それでどうするか?答えは決まってる。
没頭するんだ。あれこれ悩まず、とにかくハマる。ハマり倒す。無駄と感じれば感じるほどに、やめてはいけない。
無駄に対する耐性を身に付け人生を心から楽しむためには、それなりのリハビリが必要だが、価値がある。
無駄と感じてからが勝負
今やっていることが無駄と感じられたら、そのときが成長のチャンス。
よろしいか。
無駄と感じてからが勝負だぞ!